勝てなかった。
次に切り替えよう。
これだと何の成長もないわけです。
なぜ自分たちが負けたのか。
負けるべくして負けたのを理解しないと先なんてない。
どうしても急ごう急ごうと前に急ぐ。
そのリズムに技術と頭がついていかない。
だからミスが起こりやられてしまう。
これが日本の子供達が外に出て起きる99%の事実です。
これが全てのスタート。
知らないと成長なんかしない。
サッカーは年齢が行けば行くほど厳しくなってきます。
そしてサッカーのピラミッドは上に行けば行くほど環境は良く、実力がない選手にはいい環境は与えられません。
考えてみてください。
日本の地域リーグでも毎日練習はないし、
練習は夜がほとんどです。
それはどこの国でも全く同じです。
サッカー強豪国だから環境はいいだろう。
とんでもありません。
更に過酷な環境で
育成の時がどれだけ幸せだったのか
毎日練習出来るのがどれだけ幸せなことなのか
サッカーはグランドにしかありません。
実力がない選手をプロにするのは不可能だし、
実力がない選手を実力があるクラブに連れていっても誰にとっても意味はありません。
自分が今いる場所は自分の実力の場所であり、
そこで出られなければ次は下に落ちるしかない。
これがサッカー界のピラミッドです。
じゃあピラミッドの下にいる選手がどうやって上に這い上がっていくのか。
下から這い上がるには人と同じことをしてても上に行けるはずがない。
選手によっては与えられた環境に収まる選手がいます。
その環境でしかやらない。
そういう選手が上に行くのは不可能です。
ピラミッドの下にいる選手がピラミッドの上に這い上がっていくには
他人より努力し、
他人より更に努力し、
他人より何百倍も努力するしかない。
全てをサッカーに賭けるなんていう言葉を発するのは簡単ですが、ただ与えて貰った環境に腰掛けて努力もしなければ終わり。
クラブの名前に満足してたり終了です。
今日頑張れないやつに明日頑張れるはずがない。
口なんか何も信じないし、クラブからの他者のフィードバック以外は意味を成さない。
サッカーは自分が自己評価して上に昇っていくスポーツではなく、他者が評価して他者の評価によって夢を勝ち取っていくスポーツだということを知れ。
今週何人の選手を叱ったか。
何人の選手に喝を入れたのか。
ピラミッドの上に行きたきゃ努力しろ。
口だけのやつに先なんてない。
お前の後ろにはお前より夢を強く叶えたい才能を持った選手が常にいると思え。
上に行きたきゃ私生活含めてしっかりと生きろ。
それが出来なきゃサッカー以前の問題だ。
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今のグラッソに求められていることです。
現状満足していたら先は無い。
向上心を持って、反骨心を持たないと成長は無い。
負けて満足か?
仕方なく負けたのか?
「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」
プロ野球の名選手・名監督
故 野村克也さんの座右の銘であり
江戸時代 肥前国第9代平戸藩主 松浦清が残した言葉
肥前国の国府
今で言う県庁所在地は
佐賀県佐賀市大和町
まさに我々の練習拠点のフットボールパーク佐賀大和の隣の肥前国庁跡地である。
松浦清はこう言葉を残している。
「勝負は時の運とはいうものの、1つだけはっきり言えることがある。偶然に勝つことはあっても、偶然に負けることはない。
失敗の裏には、必ず落ち度があるはずなのだ。【たまたま運が良かった】というのも、もしかすると、運を味方につけるような努力をしていたのかもしれないし、知らないうちに徳をつんでいたのかもしれない。だとしたら、運の善し悪しを決めるのは、日々の過ごし方の如何によるのだろう。勝った負けたで一喜一憂する必要は無い。そこから何を学び取るのかが問題なのだ。何をもって成功というのか失敗というのかは、人それぞれ。ただし、二度と同じ目には遭いたくないと思うことがあるなら、それは失敗に学ぶべきではないか。
ちょっとした手抜きが勝敗を分ける。先手を打った準備と努力をしていれば、危機を察知する直感力は冴えてくる」
歴史は教えてくれる。
サッカーの神様は教えてくれる
そして、神様は我々に「壁」を作る
その壁は越えられそうで越えられない
突き破れそうで突き破れない壁
でも、絶対に乗り越えられない壁は作らない。
向き合うか、向き合わないかは自分次第。
乗り越え、突き破れなければ成長は間違いなく【無い】