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海南フットボール・クラブ創世記
クラブ創設50周年を迎えた4月9日(金)に、クラブ創設者の一人である片桐さんに、あらためて創設のいきさつを聞かせてもらいました。

当時、片桐さんの海南高校サッカー部の一つ上であった登尾さんが勤務していた会社のその隣の会社にサッカー部があったそうなのですが、そのサッカー部が人数不足になり、その会社チームの関係者から登尾さんに、新しいチームを作ろうと声がかかったそうです。
それで、登尾さんから片桐さんに話が入り、元のサッカー部の人も含めて登尾さん、片桐さんを中心とする海南高校サッカー部OBで、1971年に「海南クラブ」という名称でチームが誕生したということでした。

創設当初のユニフォームは、当時高校サッカー界の強豪であった(今も強豪ですが)静岡県の藤枝東高校のユニフォームをまねて、袖が白色の藤色のシャツと白色のパンツであったそうです。一度、県社会人リーグ2部で優勝し、1部との入れ替え戦まで行ったのですが、和歌山大学に敗れて、そのまま2部に定着していたそうです。

当時の写真がないかと尋ねたのですが、片桐さんの手元にはないということで、関係者にも連絡していただいたのですが、今のところ創設当時はおろか、1970年代のクラブの様子を記録した写真は見つかっていません。

やがて、片桐さんたち創設時のメンバーが30歳代にはいる頃、海南高校サッカー部の後輩で、当時海南高校に勤務していた私にクラブの運営を引き受けよという厳命が下り、断りようもなく引き受けたのが1980年、私(奥野修造)が25歳の時でした。

なにせ半世紀前のことで、きちんとした記録もないので、ひょっとしたら伝説や神話の類になっている部分もあるかもしれませんが、現時点ではこれがクラブの“正史”であります。

ということで、クラブ創設当初または、1970年代のクラブの活動光景を記録した写真を探し続けています。
下の写真は、1970年代も末、1978年の海南高校サッカー部の合宿の写真です。後列右端がほ私です。このころ、またはもう少し前の「海南クラブ」の写真を誰かご存じありませんか。


 

2021/07/04 16:04
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