ソラティオーラ和歌山
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2023.1.13 「負けるな」の呪縛
“絶対に負けられない戦いがここにある”
サッカーのテレビ中継の時によく使われるキャッチコピーだ。
ワールドカップの各国の試合を見ていてピッチ上で起きている事象の背後にあるものをふと考えてみた。
私自身も自分のチームのプレーヤーに、「そこで負けるな!」というような声掛けをずっとしてきた。
なぜ、“絶対に勝たなければいけない戦いがここにある”と言わないのだろうか。なぜ、私たちは「勝て!」と言わずに「負けるな!」と言ってしまうのだろう。
そんなことを考えてみた。
 
そう言えば、小林一茶も「やせがえる 負けるな 一茶これにあり」と俳句を詠んだ。
渥美清さんのテレビドラマに「負けてたまるかよ」というのがあったと思う。
最近の楽曲の歌詞にも「負けないこと……それが一番大事」というようなものもあったと思う。
 
一方、映画「ロッキーU」では、再びヘビー級チャンピオンと戦おうとするロッキーの妻エイドリアンが心労の末昏睡状態に陥ってしまった時、ようやく目覚めた彼女はずっと傍らで看病していたロッキーに向かって何と言ったか、皆さん覚えていますよね。
そうです。彼女は「WIN!」(勝って!)と言ったのです。「負けないで!」とは言わないのです。
 
今回のワールドカップの戦い方で、攻撃の切り札三苫選手を後半に取っておく。まずは“負けない”戦い方から入る。チームの切り札を取っておいたチームが他にあっただろうか。
前回のワールドカップでは、決勝トーナメントに進むために目の前の試合に負ける事さえ辞さなかった。
問題はというか、私が重いと考えるのは、私も含めて日本中のサッカー関係者がその戦い方を大筋認めたということだ。だから結果的に森保監督の下、さらに次のワールドカップを目指すことになったのだと思う。
現状の日本サッカーの現状では、このような“負けない”戦い方をするのがベスト8への確実な道であるということなのだろうが、本当にこのような戦い方でベスト8に進めるのだろうか。仮にベスト8が達成できたとしてその次は何を目標とするのだろうか。
多分同じ“負けない”戦い方でベスト4なり決勝戦を目指すことになるのではないだろうか。
 
ひょっとしたら私たちには、「勝つ」ことより「負けない」ことを重視する心性が歴史的に刷り込まれてきたのかもしれない。
“負ける”の対義語は“勝つ”ではなく“負けない”であると、私たちはなってしまっている。
私たちは島国であるという地政学的に恵まれた条件下で、古来国の存亡をかけて戦ったことがほとんどない。近代以前では鎌倉時代の元寇くらいか。
他国を侵略しようとしたことも近代に入って欧米の影響を受けるまでは、推古天皇の時と豊臣秀吉の時くらいだったのではないか。
私たちが立ち向かうべき最大の強敵はモンスーン、地震などに代表される“自然”であり続けてきた。
当然“自然”に“勝つ”ことはできない。どうやってやり過ごすか、どうやって被害を少なくするか、どうやって立ち直るか、そのことが子孫代々生きていくための最大のテーマだったのだ。それが私たちの心性になっていると思う。私たちには目の前の脅威に“勝つ”という発想は薄いのだと思う。
 
しかし、延長戦を含めて120分の戦いでは“負けない”戦い方があるとしても、PK戦で“負けない”戦い方を続けて、とてつもないプレッシャーの中で自分はPKを決めつつ、相手の失敗を待つという戦い方はあまりにも精神的にきつい。
日本代表がワールドカップのPK戦で勝てないのは、120分を負けない戦い方をする、そこに原因があるのではないだろうか。
PKを決めて“勝つ”ということと、PKを決めて“負けない”ということの違いは決定的だと思う。
決めて“勝つ”ためにど真ん中に思い切り蹴ることと、失敗した時のことを心配してコーナーを狙うことの違いにも関係してくるのではと思ってしまう。
 
やはりサッカーは奥が深い。
2023/01/13 17:05
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