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カタール・ワールドカップ観戦記A  コスタリカ戦の論理  2022.11.28
グループリーグ第2戦  日本 0−1 コスタリカ
『初戦スペインに大敗した今となっては、クループリーグ突破のため少々のリスクを冒してでもゴールを目指して積極的に前に出ていかざるを得ないとコスタリカは考えている』と日本の森保監督は予想している、とコスタリカの監督は考えたのではないでしょうか。
その読みのウラをかいたごとくコスタリカは初戦の結果など何の関係もなく、自分たちのゲームモデルどおりに守備的に試合を運んできました。試合が落ち着いてきてから、日本のやりにくさはだんだんと顕著になってきて、“コスタリカは何を考えているんだ。勝ち点3はいらないのか”、“我々はどうするんだ。勝ち点1で良いのか。それとも守備を固めている相手に対してリスクを冒して勝ち点3を狙いにいくのか”、日本選手のプレーぶりから何とはなしのもやもや感が8000km離れた日本にも伝わってきていました。
 
そんなコスタリカのどんな状況にあっても、どんな相手であってもいわば確信を持った“自分たちのサッカー”を貫こうとする戦い方を見ていて、そもそもコスタリカはグループリーグ突破を最大の目的に置いて、そこから逆算的にゲームプランを組み立てるという論理立てをしているのだろうかという疑問が湧いてきました。
今回初めて知ったのですが、コスタリカには“PURA VIDA”という言葉があって、言葉通りでは「純粋な人生」という意味ですが、“人生をあるがままに楽しもう”と、挨拶にも使われる言葉らしいです。サッカーに置き換えて言うと“PERO FÚTBOL”(純粋にサッカーを楽しもう)という風になるのではないかと勝手に想像しています。
試合終了のホイッスルを聞いてコスタリカの皆さんは、グループリーグ突破に望みをつないだことをあんなに喜んでいたのでしょうか。ひょっとしたらそれ以上に日本との試合に勝った、そのこと自体を素直に喜んでいたような気もしてきます。
 
対する我が日本は、初めてのベスト8進出を大会の目標に設定することに私も含めて誰も異論を唱える者はいませんでした。それほどに、人生や社会におけるすべてのことにおいて、常に今までを上回ることを目標に設定し、そこから逆算して物事の準備を進めていくという論理の立て方が国民全体に沁み込んでいるということを改めて感じてしまいました。
だからこそ、森保監督がグループリーグ3試合全体でグループ2位以上という論理を立てた時、全国民の一人として“そんな論理の立て方ではなく、ドイツやスペインといった超一流チームとの対戦の中身を純粋にサッカーとして楽しもうよ”という声は上がってこなかったし、私自身もコスタリカ戦を終えるまではそんな思いは欠片も思い浮かんできませんでした。
 
しかし一方で、3試合全体を通じてグループリーグ突破を見通すということであれば、またさらに初めてのベスト8をミッションとするとすれば、ゴールキーパーは別として遠藤、吉田、鎌田、伊東といった誰が見ても日本チームの中心選手をなぜ中3日でフル出場させたのでしょうか。仮にコスタリカ戦に勝ったとしてもスペイン・ドイツ戦の結果次第ではグループリーグ突破が決定しない状況下においてです。この4人をさらにスペイン戦でもフル出場させるつもりだったのでしょうか。そこを乗り越えたとして、ベスト8の最後の壁であるトーナメント一回戦もさらにこの4人をフル出場させるつもりだったのでしょうか。私には論理が通っていないとしか思えません。

私はコスタリカ戦の先発メンバーを次のように予想しました。
権田、山根、板倉、谷口、伊藤、柴崎、守田、堂安、前田、相馬です。これくらいのターンオーバーを見せてほしかった。そのための26人を選抜したのではなかったですか。そして、このメンバーで十分押し気味に試合を進められたと今でも思っています。
そして、最終戦のスペイン戦にグループリーグ突破がかかってきたとしても、その試合は主力選手中心に先発メンバーを組み、試合の進み具合に応じた選手交代ができると考えました。皆さん、どうでしょう。

しかし、コスタリカ戦の前でも、負けてしまった現時点でもまだ何も決まってはいません。考えられる限りの最善の手を尽くして、スペイン戦に臨んでもらいたいという強い思いは、すべての国民と同じように持っています。ただ、グループリーグ最終戦を前にして、“悲壮な覚悟”、“決死の戦い”、“玉砕覚悟”といった精神状態にならないように祈っています。
“PURA VIDA,PURO FÚTBOL”でいきましょう。
2022/11/28 15:02
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