固くてもろいって、どんなもの?
サッカーの話です。
昨日行われたアジア大会女子サッカーの決勝戦を見て、そう考えた人も多かったんじゃないでしょうか。
日本と対戦した北朝鮮(と表記させてもらいます)のチームは、キックオフ直後から鍛え抜かれた強靭さを前面に押し出して日本を圧倒する勢いがあった(と私は感じました)。
対する日本は、“なでしこジャパン”を名乗ることを許されない、この大会のための急造チームだとテレビで伝えられていました。失点は時間の問題で、結果は0−3か0−4くらいと思ってしまうくらいの立ち上がりでした。(チーム関係者の皆さん、ごめんなさい。)
それが、終わってみれば4−0という見るのも珍しい圧勝。素晴らしい!
(北朝鮮選手・スタッフの帰国後の待遇を心から心配しています。軽口ではありません。このチームの関係者がこれからもサッカーを続けられることを心から願います。)
北朝鮮は固くて強かったが、もろかった、これが私の印象でした。
この試合から、“サッカーのイデア”を見た人は多いと思います。
サッカーは、瞬間瞬間の局面で個々のプレーヤーの判断力に基づくプレーが何にも増して基盤であり重要であるということです。
このことが、確かな技術力や、プレースタイル、ゲームプランといったプレーヤー間の共通理解や連携と上手くリンクした時、その場に居合わせたすべての人々を一瞬にして感動させるパフォーマンスに結実します。
これこそが、“サッカーのイデア”だと私は思います。
偉そうに言うつもりはありませんが、私の率直な印象は北朝鮮のサッカーは、世界を驚かせた1966年のワールドカップの時から本質的に変わっていないのではないでしょうか。
一般論ですが、国の全権力を掌握している指導者が大のサッカー好きで、自分国のサッカーを一流レベルに引き上げたいと心底願うなら、そのためにできる一番の近道は、自分の権力の依って立つ基盤を、自立する個々の国民の判断に委ねて成立する社会(真の意味の民主主義社会)の建設を目指すことではないでしょうか。
試合も終盤に差し掛かる時、ふと、そんなことが頭に思い浮かびました。
2023/10/07 16:21